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福岡県の雨漏りドクター 高島です。「ライフストーリーその1」

全国にいる「屋根雨漏りのお医者さん」の職人をご紹介させていただきます。
町で見かけましたら、お気軽にお声掛けください!

福岡県の雨漏りドクター 高島です。「ライフストーリーその1」

■「ライフストーリーその1」
こんにちは。
福岡県の雨漏り修理に走り回る、屋根雨漏りのお医者さん、高島です。

今回は、私が小さい頃からのことを、
少し語らせていただきました。

少しでも、ここで私のことを知っていただいて、
その上で、信頼して雨漏り修理を依頼していただけたら
すごく嬉しく思います。


私の父が板金業をやっていました。
道でガンガンガンガン板金を叩いている、ということで、
私が中学の頃は、私達の仕事は「板金屋さん」ではなくて
「ガンガン屋さん」と言われていました。
中学の時は、それが嫌で、サラリーマンになりたくて、それが夢でしたね。
サラリーマンがスーツを着て会社に行っているのを見て、
自分たちが若い頃は、それに憧れていたので、
跡を継ごう、なんて全然思っていなかったですね。


そうは言っても、高校に入るときに、
「どうせ行くんだったら、建築の方を目指そう」ということで、
建築関係の学校に入りました。

それと同時に夜間の板金学校というのがありまして、そこは16歳とかで弟子に来る人達が夜、勉強するところなのですが、そこに私も夜、通いました。
結局、高校時代は、昼間は高校に通い、夜は板金学校に行って、その合間に酒屋のアルバイトをしながら、社会人経験をさせてもらうという大変忙しい時間を過ごしました。

その時期に、弟子として15歳、16歳くらいで来ているいろんな島から来ている人たちと出会って、話をして、その時に初めて「こういう商売も、本当に自信を持ってやれるんだな」と思ったんです。

それまでは、親が仕事をやったりしているのを見て、「汚い格好をして恥ずかしい」という気持ちがあったんですが、
やっぱりこれは仕事としては、立派なことなんだな、すごいことなんだな、と親がしていることに対して思えるようになりました。

そんなこともあったのですが、結局そのまま働くことはなく
大学へ行って、もう少し建築について勉強して、この道を進もう、
と思って大学に行きました。


それを卒業してからは、親の会社で弟子として、安い給料で、
本当に月に何万かの小遣い銭で、10年間働きました。

この10年間は本当に辛かったんですが、職人さんたちに混じって、
朝から晩まで、暗くなるまで仕事をしていました。

この経験をしたおかげで、この仕事を好きになりました。
また、私は34歳で社長になったんですが、
それまでの間に、職人とたくさんコミュニケーションをとったり、
汗を流して働くという気持ちよさを皆と分かち合ったというのは、
すごくいい経験になりました。

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長くなりますので、後半は「ライフストーリーその2」で御覧ください。
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